50歳前後の雑多な日常

雑多な日々日常を過ごし、時々落ち込み悩んでます

お題「社会に出てから最初に買った「自分へのご褒美」」

お題「社会に出てから最初に買った「自分へのご褒美」

社会に出て最初に買った自分へのご褒美、、、というものは無いが

最初の給料で買ったのはPHSである。27年前の1996年。

 

当時は携帯電話はめっちゃ高く手も足も出なかったがPHSは安く端末が

1円とかざらだった。当然今みたいなスマホ機能なんかは無く、「かける」と

「うける」だけだった。

 

しかし携帯電話のように持ち歩くことができ、当時は東大阪に住んでいたので

都市部では外と地下街はバリバリ電波は入っていた。ただしPHSには盲点があり、

電波が遮られる建物の陰や部屋奥に入ると電波が届かないのである。

 

東大阪で済んでいた時、3階建てのアパートの3階に住んでいて目の前の電柱に

PHSのアンテナがあったがベランダもしくはベランダ際の窓付近までは電波は

届くがそこから数メートル奥に入るともう電波はアンテナ1本とかであった。

 

弱い電波を安定的に受信するようにと、当時PHSの裏面に渦巻き状の銅箔シールを

はったりベランダに銅線をぶら下げたりとアングラ的な雑誌に載っている眉唾もの

なことをようくやっていた。当時はまだネットが普及し始めたばかりで情報も

乏しく雑誌のほうが情報が珍重されていた。

 

結局なんやかんやで3,4年PHSを使った。ラジオがついたものやカラーなんかは

無かったがブルーライトの液晶のPHSなんかを使っていた。二つ折りのアウトドア

仕様なんかも使った。

 

いまはPHSは病院等以外ではなくなってしまったが20代のころの当時は今の

若者と同じように流行を追いかけ当時の最先端のモノに触れていた。

 

懐かしいです。

 

 

四半世紀通ってる場所

自分は古着が好きで良く買うのだが、いくつか

の店で買っている。その中で一カ所だけ古着

専門店ではない店舗、、、というか作業所で

ある。

 

その作業所は古着のみならず電化製品やら食器

やらと結構大きなリサイクルショップみたいな

感じである。

 

で、その作業所は作業者のほとんどが何らかの

障害を持っていて、障害者の働きの場となって

いる。

 

そこは県内でも障害者雇用の先駆けの場として

有名で、持ち込まれた家財道具や古着などの

仕分から案内、レジ、配達等々ほとんどの方が

障害者である。

 

自分はもうそこの作業所に四半世紀は通って

古着やら中古家電やら買っている。

 

安いのもあって県内在住の外国人、特に東南

アジア系の外国人もよく買いに来る。今日も

家族で買いに来ていた。

 

特に用事も無いが何があるかなぁと思いながら

寄る事もある。今日もふらっと寄ってTシャツ

5枚ほど買った。しめて1000円也。ちょうど

仕事着の下に着るTシャツが複数枚欲しかった

のでちょうど良かった。まあデザインは二の次

でサイズを重視して買った。

 

ここ数年は寄ったらたとえ100円でも何か買う

様にしている。その売り上げが障害者の方々に

少しでも役立てればと思っている。

 

 

お題「高校生に戻ったらしたいこと」

お題「高校生に戻ったらしたいこと」

 

高校生に戻れたらしたいことはいくつかあるがまずは推薦ではなく一般入試で

高校に入りたい。

 

「えー、推薦いいじゃん」という奴もいると思うが35年前県で初めてスポーツ推薦

制度が始まり自分はその最初の年の生徒である。昭和から平成になった年である。

 

自分はみなと同じ一般入試で受けたかったし勉強もしてたしとにかくスポーツ推薦を

拒み続けていたがある時自分が入学したい高校の部活の顧問から電話があり

「お前、推薦で手続きしたからな、分かったな」ガチャ、、で終わった。

 

高校へ仕方なく推薦で進学したがとにかく休みなく練習がきついし部内の人間関係は

ピリついて最悪やし、推薦入学の条件として3年になったら○○大学に推薦で

優先的に進学できるってのも3年生の時に校長が変わったら反故にされたし

さんざんな高校生活だった。

 

もし戻れるなら最初にも書いたが一般入試で入学し、それまでやってきたスポーツを

辞め、別の部活に入る。とりわけ高校の時やりたかった部活は弓道だった。

なぜ弓道かというと5つ上の兄貴が大学で体育で弓道やってその話と写真なんかを

中学校の時に聞いて興味がわき高校に行ったら弓道をやると決めていたのである。

 

弓道での所作、立ち振る舞い、精神性等々当時の自分はすごい厳かに見えかつ

大きなものに見えた。あとあのはかま姿もかっこいいし何より女子にもモテる。

 

当時は好きな子もいたがお付き合いもできずどころか部活一辺倒だったので

女子としゃべる時間など皆無に等しかった。女子と肩を並べて帰宅するのも

憧れであった。

 

時間は戻ることはないが戻りたいなぁと思うことはたまにあったりもする。

世の中で一番嫌いな職業(肩書)

世の中で一番嫌いな職業、というか世の中で一番嫌いな肩書は評論家である。

 

今回自衛隊の乱射事件につき各ニュース番組でいろんな解説者が出ていたが

中には元自衛官で同じように射撃訓練等も行い長年自衛官を務め退役した方の

解説なんかもあったが大概は”○○大学教授で~××の△△さんです”

てのが出てくる。

 

こういうやからはここで爪痕を残して売れるぞ、という態度が見え見えで

もう必死にあらん限りの知識をひけらかしてくるがしゃべりの内容もあっち

こっちに飛びまくって最後は何が何やらわけわからんことをほざいている。

 

このやからの質の悪いのは自分らはそこに行ったこともなく経験もしたことない

のにさも自分はやってきたかのように喋りまくる。で、内容は小学生でも言う

うっす~いものである。

 

机の上でしか考えたことない輩がバンバン机をたたいてしゃべったところで

何のクソの役に立つことか。今回のことだけでなく災害や、映画、演劇、

テレビ、ラジオ等々評論家と肩書を持つ奴がしゃべっているのを聞くと

無性に腹立たしくなる。

 

メディアは経験を経てきた専門家と評論家の区別ができんよね。

だからわけわからん評論家がはびこって間違った情報を流すんだろうね。

 

銭湯の思い出

お題「銭湯の思い出・・・」

 

お題を探す より

 

銭湯の思い出と言えば30年前の大学生時代毎日のように銭湯に通った。

で、大学が広島県呉市にあって呉市は造船を中心に鉄鋼業の街である。

 

この呉市はピンと来た人ならわかると思うのだが映画「仁義なき戦い」の

元となった場所である。最初に入所していた下宿のおばちゃんから

「○○トンネルの入ったすぐのところで拳銃の弾の跡があるよ~」と

さわやかに言われたのを今も忘れず覚えている。

 

学生時代銭湯はいつも終わりかけの午後9時半前後に行っていた。

アルバイトのある日は夜中の2時までやっている離れた銭湯に行っていたのだが

通常は歩いて2分くらいのところの銭湯に入っていた。

 

その時間は当時は同じ学生が多く来ており友人なんかにも銭湯で会った。

ちなみにであるが大学が工業系でほとんどが男子ばかりだったので銭湯には

同じ男子を目当てにあっち系の男子もまれにいたのだが。。。

 

実家に帰らずに残っていたある夏休みにふと銭湯の1番風呂に入ってみようと

午後4時半ごろに行ってみた。そしたらおじいさんばかりが集まっていて

孫の手を引いてきていたおじいさんなんかもいた。

 

まあお年寄りは暑いのも好きだし早く入りたいもんなのかなぁと思って

いつも通り入っていくと、洗い場で背を向けてるおじいさんのほとんどが

背中やら肩やら腕にもんもん(入れ墨)が入っていた。

 

湯船につかってるおじいさんもサウナに入っているおじいさんも

着替えてるおじいさんもどこかに入れ墨があった。今のデザインタトゥー

なんか比べようがない気合の入ったいものばかりである。

 

いまだに覚えている柄は、菊に盃 桜に幕 観音様の周りを竜が昇る 錨

般若 首筋からかかとまで全身唐草模様 等々である。もう一種の美術館

状態であった。

 

けどそんな気合の入ったおじいさんたちも孫の手を引いてにこやかに

している姿を見ていたら、ここではこれが当たり前の風景なんだなぁ

と当時学生なりに思った。

 

今はもう当時の銭湯はなくなり大学も隣接する別の市へ移転してしまい

自分たちが通った大学は一部建物を残し無くなり別の大学が入ってきた。

 

久方ぶりに大学の同窓会に出ようと計画している。コロナ下でずっと中止が

続いていたが今秋は開催されるであろうと予想し準備を進める。

一息付ける場所

仕事や日常生活で一息つける場所はどこだろうとふと考えていた。

 

最初は車の中や自室、ネットカフェ、図書館といろいろ考えていたが

違うな~と感じた。自室も一息つけるといやつけるが隣室は兄貴がいるので

何かと無意識に気を遣う。

 

前回のタイトルどおり仕事を休んで車でプラプラしていて時間を潰せる所を

探していたら県営の海浜公園にたどり着いていた。ここは無料の県営公園で

芝生広場からテニスコート、バスケ場、スケボー広場、BBQ施設、DAYキャンプ場

と色々ある。

 

ちょくちょく来ているところだがその中でもテニスコート横にある大きな

多角形(多分8角形)の形をした東屋がお気に入りである。木製のベンチとテーブルが

ありそこでランチしたり読書したり学習したりもできる。

 

東屋自体がとても大きいので雨の日でも中まで降りこまない。

今のところそこが一息付ける場所である。

 

ちなみに自宅からは40km離れている。まあ普通の人は一息つくために40kmも

離れたところに行くことはしないかな、、、、

 

東屋の中から外を見た様子👆

休んだった!

先日も書いたが月曜日のあさはマジ憂鬱で

朝起きた時雨がザーザーぶりだったので

ますます憂鬱で派遣先に行きたくなくなった。

 

よって今日は家事都合という事で休んだった。

まあ明日も次の派遣先の面談で休みやし、

今の派遣先も何にも未練もないし人間関係

最悪やし別段どう思われようと知ったこっちゃ

ないし。

 

けど月曜日て公共施設はほとんどが休みやから

時間を過ごすのにかなり手に余る。まあ月曜日

を休むのは今回が初めてではないし、さんざん

ぱらすっぺらこっぺら言って休んだし。

 

次の派遣先は前に一度行っていたところでそこ

は揉めずにキチンと期間をこなして終了した

ところなのでキチンとしていれば無期雇用もし

てくれる。

 

三交代制4勤2休と本当は週末休みが良かったが

派遣元の営業さんが勧めてくれたので面談を

受ける事にした。

 

4勤2休は平日休みや中夜勤は夕方から仕事と

なるが平日に休めるのはありがたい。遊びに

行っても混まないし。まあ独り身なので

あんまり関係ないっちゃ関係ないけど。

 

次の派遣先では人間関係が良きものであります様に、、、