銭湯の思い出
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銭湯の思い出と言えば30年前の大学生時代毎日のように銭湯に通った。
で、大学が広島県呉市にあって呉市は造船を中心に鉄鋼業の街である。
この呉市はピンと来た人ならわかると思うのだが映画「仁義なき戦い」の
元となった場所である。最初に入所していた下宿のおばちゃんから
「○○トンネルの入ったすぐのところで拳銃の弾の跡があるよ~」と
さわやかに言われたのを今も忘れず覚えている。
学生時代銭湯はいつも終わりかけの午後9時半前後に行っていた。
アルバイトのある日は夜中の2時までやっている離れた銭湯に行っていたのだが
通常は歩いて2分くらいのところの銭湯に入っていた。
その時間は当時は同じ学生が多く来ており友人なんかにも銭湯で会った。
ちなみにであるが大学が工業系でほとんどが男子ばかりだったので銭湯には
同じ男子を目当てにあっち系の男子もまれにいたのだが。。。
実家に帰らずに残っていたある夏休みにふと銭湯の1番風呂に入ってみようと
午後4時半ごろに行ってみた。そしたらおじいさんばかりが集まっていて
孫の手を引いてきていたおじいさんなんかもいた。
まあお年寄りは暑いのも好きだし早く入りたいもんなのかなぁと思って
いつも通り入っていくと、洗い場で背を向けてるおじいさんのほとんどが
背中やら肩やら腕にもんもん(入れ墨)が入っていた。
湯船につかってるおじいさんもサウナに入っているおじいさんも
着替えてるおじいさんもどこかに入れ墨があった。今のデザインタトゥー
なんか比べようがない気合の入ったいものばかりである。
いまだに覚えている柄は、菊に盃 桜に幕 観音様の周りを竜が昇る 錨
般若 首筋からかかとまで全身唐草模様 等々である。もう一種の美術館
状態であった。
けどそんな気合の入ったおじいさんたちも孫の手を引いてにこやかに
している姿を見ていたら、ここではこれが当たり前の風景なんだなぁ
と当時学生なりに思った。
今はもう当時の銭湯はなくなり大学も隣接する別の市へ移転してしまい
自分たちが通った大学は一部建物を残し無くなり別の大学が入ってきた。
久方ぶりに大学の同窓会に出ようと計画している。コロナ下でずっと中止が
続いていたが今秋は開催されるであろうと予想し準備を進める。